ひとの目が気になる
ひとの目、まなざし、視線は私たちのこころのとても深い部分にまで届きます。
お母さんの優しいまなざしは、赤ちゃんのこころに安らぎと自信を与えるでしょう。
そういうまなざしを求める気持ちは、大人になっても変わりません。
しかし、ひとの視線にさらされて、自分の無防備さ、こころもとなさを感じることも少なくありません。
さらに、ひとの視線が非常に冷たく、厳しく、批判や敵意や侮蔑に満ちているように感じることもあります。これが続くと毎日は耐えがたいものになるでしょう。
昔、日本の神経症と言えば「赤面恐怖」だったようです。
ひとの視線を意識して、自分の顔が赤くなっていると思う。そう思うと緊張してさらに赤くなってしまう。緊張と恥ずかしさのあまり、ひどい場合は人前に出られなくなります。
赤面恐怖で相談されるかたは少なくなくなりましたが、ひとの視線にさらされていると感じると、緊張してうまく話せない、手が震える、といったことに悩むかたも少なくありません。
学校の授業や仕事の会議など、視線と緊張を感じやすい場で起こります。
いわゆる「あがり症」です。
自分がどう思われているか、どう評価されるかが気になってしまうのかもしれません。
思春期になると、この悩みは急増します。学校に行きづらくなることも少なくありません。
思春期は自分を強く意識し始める時期で、同時にほかの人の視線が強く気になり始める時期でもあります。これには学校の「友だち」「仲間」「グループ」の中の複雑な人間関係も影響しているのでしょう。
さらには悪口を言われている、という悩みが加わることもあり、耐えがたさは極限に達します。このような悩みは思春期に限ったものではありません。ひとが集団に属する以上避けられない悩みなのかもしれません。
さらに近所や外出先でもひとの視線が気になることがあります。すれ違うひとにも変に見られているのではないか、と感じます。
こうなると家から出にくくなり、外出を避けるようになることもあります。
安心できる居場所を得られるかが大きな課題になります。
このように、ひとのまなざし、視線にまつわる悩みは一筋縄ではいかないもののようです。診察室、面接室が、安心できる居場所となれれば、それが前進への第一歩となるでしょう。
薬の処方によって緊張や苦しみが楽になることもあります。
しかしそう簡単に緊張が解けないことあります。
まずは診察、面接の場で感じることを話しあっていくことが大切なようです。